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記憶で形作られていく私たちの身体と心。
愛、家族、金、旅、何事も大切なのは結果よりもその過程だということを教えてくれる彼女の生き方。
何歳でも、母親でも、誰であっても、 みんなが、みんなの、はじめての人生。
自分の命に責任を持って、最期まで、私も私を踊りたいと思いました。
アオイヤマダ
(パフォーミングアーティスト)
XiXiがその身体で自身と世界を交差させるときの美しさ。
XiXiがその言葉で自身を語ろうとするときの重力と沈黙。
その姿を見ていると、私は傷つかないように、傷つけないように生きることを規範としすぎていないだろうかと、自他の瘡蓋が頭をよぎった。
小田香
(映画作家)
XiXiの身体は一つだが、心は一つではないことをカメラは見つめている
たとえ、あるがままの生き方を選べなかったとしても、その人の中に失われることのない"わたし"の像たちが、その姿に重なり合って映画に残されたのだと思った
XiXiがこの世界を漂い、抗う日々の記録が、いま日本にも届いたことに感謝しています
小森はるか
(映像作家)
XiXiの身体がわたしの身体に、
見たこともない母親の踊る姿を、
見たこともない祖母の歌う姿を思わせた。
金子由里奈
(映画監督)
社会の目によって角を削られ
理不尽によって傷を受けた石ころたちの中に光るのは
決して褪せることの無い、自分だけの結晶だ。
自由を求めて今を踊るシィシィと、彼女に焦がれカメラを向けるファン監督、
どちらの中にも私がいた。
母のタオ。娘のニナ。
彼女たちだけの対話の形と、
美しくエモーショナルな映像の断片に思わず息を呑む。
これはドキュメンタリーの域を超えた、遠い過去から未来へと続いてゆく、
女性たちの広大なロードムービーである。
根矢涼香
(俳優)
XiXiが自由と責任の狭間で葛藤する姿を見るにつけ、
アニエス・ヴァルダ監督『冬の旅』の放浪者モナを想起した。
この社会で選べる生き方は、実際のところそんなに多くはないのかもしれない。
用意された道以外を選ぶとき、その代償はつねに大きい。
それでも彼女たちの精神を胸に宿し続けることを諦めずにいたいと、心から願った。
児玉美月
(映画評論家)
愛することは、自己を差し出すことなのか。女性に課された価値観と対峙しながら、自らの人生を選び直そうとする姿を追う。
母であること、女性であること、そのすべてに潜む「規範」を問い直す、静かな抵抗と内なる闘いが胸を打つドキュメンタリー。
竹田ダニエル
(ライター)
どうしてこんなにもXiXiの一挙手一投足に目を奪われるのだろう。身体を通して矜持まで伝わる表現は、つい旧来的な性役割の規範に自分をねじ込み、その特別さを滅しようとする私を揺さぶる。カメラを向けるウー・ファン監督が、世代の違う女性たちの葛藤の記憶を自分自身と私たちを接続していくプロセスが傷を撫でてくれた。他者の人生に触れた後の余韻が一層深い。この数日彼女たちの言葉を反芻している。
奥浜レイラ
(映画・音楽パーソナリティ)
XiXiが体当たりで生きる姿を突飛で常識はずれと思われるかもしれないが、実のところ、この時代に生きるわたしたちひとりひとりはXiXiの魂の声にどこかで共感している自分を見つけるのだと思う。
生きている意味を掴むべく行動に出ているXiXiは尊い。
在本彌生
(写真家・フォトグラファー)
痛みを伴う「削られる過程」。
xixiは今、その過程なのか、それとも、削ぎ落とされた自由の世界に辿り着けたのだろうか。
xixiの持つ消えることの無い深い傷。
それでも、力強く生きている姿は「今」を生きる私たちを勇気づけるだろう。
大島葉子
(俳優)
XiXiのどんな動きも、表情も、考えも、全てをウー・ファン監督のカメラが彼女を受容してゆく。自由に生きることを引き受けたその重みはやがて軽やかに踊り出し、彼女たちが紡ぐ言葉の数々がガラスの粉のように煌めきと痛みを胸にもたらす。
睡蓮みどり
(俳優・文筆家)
過去、少女、娘、現在、女、母親、未来。
私は私なのに、人生は変容していく。普通を求めてくる視線はいつだって無責任だ。
そんな社会や過去の傷も掬いあげて舞い踊るXiXiに「何もかもから解かれて」と願う自分と、
「もっと私を救って」と願う自分がいた。
相反する願いが躍動的で繊細なパフォーマンスとリンクして、見る者の人生とも繋がっていく。
XiXiにかけたい言葉は、きっと今自分が欲しい言葉なんだ。
でか美ちゃん
(タレント)
自分の夢を追いかけたい一方で、かけがえのない家族も大切にしたいXiXiの痛ましいまでの想い。多くの女性も直面するその想いが、一見大胆すぎる行動やパフォーマンスへと昇華する。傷だらけになって、もがきながらも世界へと羽ばたいていくその姿は尊い。同じく故国を飛び出した女性映画監督が愛をこめて追っていく本作には、心揺さぶられずにはいられない。
ヨーロッパという異文化で外国人アーティストとして生きることの困難さと闘い。多くの人に理解されないことを貫き通す芸術家としての勇気や覚悟が実感をもって伝わってきた。祖母、母、娘の4代の女性たちに引き継がれてきた想いや女性同士の連帯感も感じられて、胸が熱くなる。真のパフォーミングアーティストとは、彼女のことを言うのだと思う。
森菜穂美
(舞踊ジャーナリスト)
性役割規範の呪いや痛みの記憶を打ち破り、自分と世界への信頼を育て合いながら“私自身”の道へ踏み出したアジア人女性2人。空を舞う鳥のように自由に生き、運命は自ら決めるんだ。2人から差し出された手に私もつながった。
寺田和代
(ライター)
これほど一人の人間に触れた気になる映画は稀有なのではと思いました。
極めてパーソナルでありながら普遍的で、希望も絶望も不条理も身勝手さも全てが詰まっていて、誰しもがこの映画のどこかに必ず深く刺さる瞬間があるはずです。
ドキュメンタリーだのドラマだのの分類に意味がなくなるような何かが芽生えてきているなと感じました。
山岡信貴
(映画監督)
多様な映像と、自然体の会話、そして透徹したナレーション——これらが三位一体となり、先を急がず、緩やかに、各シーンがにじむように展開する本作は、出色のドキュメンタリーである。
石井達朗
(舞踊評論家)
踊ることすなわち生きること。
XiXiは、母が断念したダンサーの道を心おもむくままに進みながら別れた夫との間の愛娘ニナを慈しむ。そこに監督のウー・ファン自身の家族のドラマも折り重なって胸に迫る。
鮮烈で感動的な人生讃歌だ。
高橋森彦
(舞踊評論家)
「自分らしく生きたい」渇望と「母親」に代表される女性の社会的役割の両立の難しさよ!
XiXiや監督のもがきは世界共通だ。それでもXiXiと娘ニナの関係性、そしてニナの才能の萌芽は母娘が持つ“永遠の葛藤ループ”に、ちょっとおもしろい解や希望をくれている気がする。
中村千晶
(映画ライター)
XiXiの生き方や視点を借りながら、この作品は詩的に、あらゆる女性の内に根ざす自由への深い渇望、そして社会や伝統の枠内で表現し得ない感情を表現しています。XiXiの祖母と母、母と彼女自身、そして彼女自身と娘の関係性を描く手法は、母として、女性として、そして長年にわたり抑圧されてきたあらゆる欲望について、私自身を省みるきっかけとなりました。
監督とXiXiが育った文化圏では、「人は岩のように生まれる」と言われます。社会の川の流れや伝統の中で、角ばった岩も次第に丸くなるのが理解しました。もしそうであるならば、XiXiの生き方――自然のままの岩として、生まれ持った角ばった部分を保ち、社会に丸め込まれることを拒み続ける姿勢に、私は深く感服いたします。
ショーレ・ゴルパリアン
(映画プロデューサー/翻訳家)
世間には、自分らしく生きようとする人やその生き方に疑問を投げかける声がある。「稼げないのになぜそんなことを、結婚したのに、親なのに、子どももいるのに、なぜ自分を生きようとするのか?」と。そんな社会のモラルやしがらみと闘いながら、それでも自分を表現し続けるダンサーXiXi。そのリアルな生き方を見つめていると、自分らしく生きることの大切さと可能性に気づかされる。
江川知弘
(作家)
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愛、家族、金、旅、何事も大切なのは結果よりもその過程だということを教えてくれる彼女の生き方。
何歳でも、母親でも、誰であっても、 みんなが、みんなの、はじめての人生。
自分の命に責任を持って、最期まで、私も私を踊りたいと思いました。